ヒゲおやじの気まま流野菜づくり日記

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help リーダーに追加 RSS 秋空に誘われて3 第四十七番 八坂寺!

<<   作成日時 : 2008/10/15 00:29   >>

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さて、松山八ヶ寺参りもいよいよ最終回。
今日は第四十七番八坂寺だ。

順番からいうと前回の浄瑠璃寺の方が後になるんだけど、これは西林寺からの道の都合だよ。
西林寺から浄瑠璃寺はほとんど一本道。八坂寺はそこから折り返すように下ってくるのだけど、丁度道が松葉のように分かれているんだねえ。だから八坂寺を先に行くと、一旦下って八坂寺、同じ道を登って浄瑠璃寺、また同じ道を下ってくることになるので、先に浄瑠璃寺にお参りをしたってことだ。

浄瑠璃寺からは遍路道を行くとおよそ800メートルほど、一般道だと1200メートルくらいかな。
どちらにしても直ぐ近くだ。

参道を登っていくと突き当たりに可愛らしい山門が目に入る。

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大体お寺の山門てのは、どんな小さなお寺でも結構堂々としているものだけどね。ここは違うんだ。

ここは二人並んで通るのがやっとの広さだよ。しかも大きさの割にやけに長い。
と思って、横から見ると。ほら、幅2メートルばかりの小川を跨いで山門が作られているんだ。

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もっと大きな橋をかければよさそうなもんだけどね。


さて、この山門をくぐると、長さはおよそ10メートルばかり、やけに狭い参道が続いている。
おまけに何とも急な石段だ。

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このお遍路さんの後を降りてきたご婦人は、最終段を踏み外して転んでしまった。こちらは普通の服装でどうやら観光組のようだけどね。大丈夫ですかと声をかけたんだけど、知らん顔で「あ痛たたたた・・・、また挫いてしまった」と繰り返していたよ。お参りに来て怪我をするとは、よほど心懸けが悪いのかもね。


ヒゲおやじも転ばないように手すりを持って上に上がると景色は一変して、そこそこの広さがある境内に堂々とした大きな本堂が目に飛び込んできた。

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それもそのはず、ここはなかなかの大寺。

修験道の開祖役行者小角が開基したと伝えられ、大宝元年(701年)伊予の国司越智玉興が文武天皇の勅願寺として創建し、その際八ヶ所の坂道を切り開いて道を付けたので八坂寺の寺号がつけられたのだそうだ。
本尊の阿弥陀如来は恵心僧都の作。その後寺は荒廃するが、弘仁6年(815年)に来錫した弘法大師が長期間にわたって留錫し、再興して四国霊場に定められた。
後に修験の根本道場として栄え、熊野山八王寺と称して、末寺四十八ヶ寺と寺領に荏原郷を有するほど隆盛を極めたのだそうだ。
その後戦国時代の兵火により伽藍はことごとく消失し、再興されたものの現在の有様となったものだ。

今は直ぐ近くにある文殊院徳盛寺が唯一の末寺なんだねえ。
ところでこの文殊院徳盛寺なる寺、これこそが衛門三郎伝説の発祥の地。つまり四国遍路の発祥の地と言われるところだ。

さて、話しを戻して、本堂の左手にはこれも珍しく大きな太子堂が祀られているんだ。

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松山八ヶ寺の中でも群を抜いて大きいねえ。堂々とした造りだ。

今日も沢山のお遍路さんがお参りしているねえ。
この人達は全員車だよ、多分。何でわかるかって、歩き遍路はこんな形はしていないんだ。もっと逞しいというか、有り体に言えばもっと汚れているんだねえ。それは汚いというイメージじゃないんだ、それなりの風格というのかなあ。もう四国を三分の二ほども回ってきているので、顔も姿もそれなりに修行を積んだ人の雰囲気が滲み出ているんだ。見ていても、有り難い気持ちになるものだよ。

車の人はそんなものは全く感じないねえ。自分の御利益ばかり願っているんじゃないかなあ。
四国遍路は修行の旅。自分を見つめ直す旅なんだ。御利益願いじゃないんだよね。この根本がわかっていないと、何度四国参りしても同じことだよ。車で回るのが悪いのじゃなくて、その心根の問題なんだ。

人は生きている限り生老病死の四大苦の他にも、借金や人間関係など様々な悩みを持って生きているんだねえ。
それらから逃れるために、○○をしてくださいとひたすらお願いして八十八ヶ所を回ってみても、おそらく何も叶えられないと思うよ。
歩き遍路の人も、最初のきっかけはみんな似たようなものだそうだ。みんな悩みを抱えて歩いているんだねえ。でも歩き終える頃にはそんなことはどうでも良いというか、苦でも何でもなくなっているのだそうだよ。
自分が生きている喜びを実感できると言っていた人もいるし、自分が確かに変わったと感じた人は多いようだねえ。
これは一つの悟りであるのかも知れないねえ。

四国遍路とはそういうものだ。
遊びでも観光でも何でもいいけど、是非そういう心根を持って般若心経の一つもあげて欲しいと思うんだ。

さて、これで松山八ヶ寺のお参りはお終いだ。
八十八のうちのたった八ヶ寺だけど、四国遍路をすこしでも理解してもらえたらこんな嬉しいことはないねえ。


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長々のお付き合い、ありがとうございました。



この後はお約束の衛門三郎伝説なんだけど、これもかなり長い話しになるので、別の機会にしよう。


では、疲れ休めに可愛らしいものを。

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ありがとうございます。



明日もきっと良い日であります。

ヒゲおやじ








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コメント(16件)

内 容 ニックネーム/日時
四国八十八箇所を歩くと 雨に打たれる日 風をうけて思うよう
に進めない日 暑くてくたばりかける日 迷って暗くなって宿を
探す日等々がありますからねぇ。
足の痛みや体の疲れに鞭打ち、接待に励まされながら歩く遍路に
は自然に頭が下がろうと言うものです。
歩き遍路に挑戦する友人も足を鍛えて準備をしてきたとはいえ
不安は歩き始めてもおさまらないでしょうねぇ。 
ログの大好きな徳さん
2008/10/15 01:05
> 四国遍路は修行の旅。自分を見つめ直す旅なんだ。
> 御利益願いじゃない。
これを弁えていないと、お遍路する意義が失せてしまいますね。
史跡を見て回る観光気分でも悪いことはないでしょうが、その場合はお遍路姿は控えるべきでしようね。
松山八ヶ寺、居ながらにして巡ることができました。有り難うございました。
ブルーリボン
2008/10/15 01:49
願いをかなえる旅なのでしょうが、時間をかけてひたすら歩くことによって自分を見つめなおすことができるのではないのでしょうか。
バスもいいのですが、自分がかなりしっかりしていないと願いはかなえられないのかもしれません。
散歩おじさん
2008/10/15 06:46
かわいい山門ですね。本堂は見事な大きさです。ふるい歴史のあるお寺ですね。遍路を続けているうちに心が素直に洗われたようになる・・・これが悟りにつながる・・・不思議なことですね。
森の生活
2008/10/15 06:51
私も少し修行が必要かもしれません。
私が活動する四万十町あたりはお寺がまばらでお遍路さんも大変なんでしょうが、毎日歩いてる人を見かけます。最近は逆に回ってる人もよく見かけます。お寺が多いと檀家に困りそうですが八十八箇所はそんなことないですよね。
ああじゃん
2008/10/15 07:27
>修験道の開祖役行者小角が開基したと伝えられ
修験道は山岳宗教だから、このような八坂のある場所にあるのですね。
見れば裕福なお寺のようです、工事費をケチって参門が狭い分けでもないようですね、古来のお寺は住民の避難場所でしたから外敵の侵入を防ぐ意味もあるのかも知れません。川は堀の役目もしますから人々を救済するには良い造りとなっています。
乱歩
2008/10/15 08:08
>四国遍路とはそういうものだ。
四国遍路という本と一緒にヒゲおやじさんの文章を拝見しています。ちょうど愛媛のところで「悟りは迷いの道に咲く花である」とありました。なんとなく感じがつかめるような・・・。悟りとはまだまだ、縁遠いのですが・・・・。
湖のほとりから・・・
2008/10/15 15:45
ログの大好きな徳さん、ありがとうございます。
そうですねえ、日々何があるかわからない世界ですからね。
今日一日を真剣にただ生き抜くのみ。それがお遍路の有り様かとも思います。明日生きているとは限りませんからね。金剛杖は卒塔婆、いつどこで死に絶えても、杖一本立ててもらえばよい。それが歩き遍路の覚悟です。
うーん、足腰を鍛えるという話しとは違うような(笑)。
ヒゲおやじ
2008/10/15 23:10
ブルーリボンさん、ありがとうございます。
そうですねえ、観光旅行も良いのではありませんか? 今四国遍路がブームのようですからね。それで何か救われようと思わずに、ただ観光に徹すれば良いのですよ。それがきっかけでやってみようと思う人がいれば、それもまた結構なことです。根本は修行、それと混同しなければそれはそれで良いと思いますよ。観光旅行で御利益なんてのは虫が良すぎます(笑)。
ヒゲおやじ
2008/10/15 23:16
散歩おじさん、ありがとうございます。
そうですねえ、遍路の根本は修行ですから、それがどんな形であれその覚悟をもって臨めば良いのだとと思いますよ。観光なら観光に徹すれば良いのですよ。御利益を願わずにね。叶う叶わないは、自分の覚悟次第だと思いますよ。
ヒゲおやじ
2008/10/15 23:21
森の生活さん、ありがとうございます。
はい、それが四国遍路の根本です。皆さん某かの解脱を得るようです。
罪人でさえ徳を得て善を積むようになる。
不思議の国、四国です。
ヒゲおやじ
2008/10/15 23:26
ああじゃんさん、ありがとうございます。
逆に回ることを逆打ちと言います。これは本懐を遂げた人がお礼参りをするやり方とも言われていますが、古くは衛門三郎の伝説によります。
札所のお寺は元々修行の寺なので、檀家を持たないところも沢山あります。
広大な地所に沢山の墓地を経営している寺もあります。この八坂寺もその一つです。札所の場合は賽銭の他に納経帳などの収入があり、潤っているようですよ。
ヒゲおやじ
2008/10/15 23:36
乱歩さん、ありがとうございます。
さあ、このお寺はよくわかりません。地形からして、本来の山門は遙か下にあったものと思われます。おそらく堂々とした造りであったでしょう。
そこから一直線にこの山門まで参道が延びています。およそ800メートルくらいもあるでしょうか。そんなことから多分これは本来の山門ではないと思われます。造りは極最近のものですが、昔からあったのかどうかもわかりません。この辺りは謎の多い寺でもあります。
ヒゲおやじ
2008/10/15 23:48
湖のほとりから・・・さん、ありがとうございます。
悟ったつもりでいて悟りきれず、また悶々の日々を送る。悟りとは迷いの道に咲く花の如し。
咲いたと思ったのは夢幻でしょうか。人は本当に悟りを得ることができるのでしょうか。今日の悟りは明日への幻夢、その繰り返しが人の有り様かも。
修行が足りませんなあ。
ヒゲおやじ
2008/10/16 00:00
奥深い文章に心引き締めちゃいました。
そうですね、ご利益に預かりたくなってしまいますものね。

義父も義母もお参りをしたいと思ったときには、かなり体力がなかったのです。義母は5箇所くらいで終わってしまいました。
棺の中に、お被布を入れたとき、歩いていた義父の気持ちが少し分かったような気持ちになったのを覚えています。
修行だとすれば、もっと早く回りたいです。
山形ママン
2008/10/17 07:57
山形ママンさん、ありがとうございます。
そうですね、歩いてお参りするのはある種体力勝負でもあります。
お願い事なら車でもよいのでしょうが、自分を見つめ直す修行の旅ともなれば歩くしかないですからね。一度に全部やる必要はないので、できるだけ早く始められることをお勧めします。
ヒゲおやじ
2008/10/17 10:20

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